仲良きことは美しき哉。

失恋話とか自分で振っといてサクっと流すのもアレなんで、せっかくなので(?)、最近少々考えていたことを書いておこうかとおもいます。いや、今麻雀ゲームが新台移行中で今週はお休みでヒマなんだよ。えぇ、まぁそんな更新です。


失恋自体はですね、わたくしこう見えて初失恋っつーか、いや、恋が叶わなかったことならあるけれども、つきあっててフラれるっつーのが実は初体験だったもんで。いやーキッツいなーこれー、みんなこんなのよくやってんなースゲェなーとか、凹んでる中にも新発見!みたいな気分ではあったのですけれども。フラれて数日後にね、付けっぱなしのテレビで殺人事件報道とかやってたんですよ。で、突然我が子を殺されたご両親のインタビューとか聞いてたら、なんか、非常に不謹慎な話で申し訳ないのですが、「あー、世の中にはもっと圧倒的に不条理な不幸があるんだなー」、と。それに比べて私ってば別にたいしたことなくね?誰も死んでなくね?とおもいました。いやまぁ比べることじゃないっつーか、比較として色々間違ってるのはわかるんだけれども。


考えてたことっていうのは、元々は『別れた元恋人とその後、友人として付き合いはできるのか?』っつーのがテーマだったのです。ええと、正確な定義としては元恋人っつーか、『一度恋心を抱いたのちに自分の中でカタをつけて一回終了した相手』だな。元恋人でもキモチが残ってたらまた別の話だろうし、つきあってなくても以下略なので。

色々考えてみた結果、先に上記の問いに対する結論を言うとですね、私は、「やー、やっぱり『友人』とは違うんじゃねーの?」と思ってます。少なくとも今は。いや、私が今まで基本的に「恋愛相手と友人は別、恋愛が終わったらその相手との関係は以上終了」というタイプで、元カレとかそーゆーのとは以降連絡すら一切取ってない、という人生を歩んできたからというのはあると思うんだけども。

それは別にしてもさ、なんつーか、やっぱ、良くも悪くも、『友人』とは違うくね?と思うのですよ。友人付き合いを否定しているわけではなくて、ええと、その後の『人としての関係』が何らかのカタチでうまく続いたとしても、それは『友情』とはまたちょっと違うものになるのではないかなー。とおもうの。違うかなー。お互いにもう、恋愛したことすらすっかり忘れるくらい気持ちも記憶も風化して、どーでもよくなったらまた違うのかもしれないけれども。ぇーでもそんなにどーでもいい相手だったら別に友達付き合いもしたくなくね?


そんなことをとりとめなく考えていて、ふと思ったんですけれども。『恋人』として付き合う、っつーのは、いわゆる『契約』なのではないか、と。なんか色気とか情緒のない無粋な言い方で何だけども。その『契約』を結ぶ理由が「だって好きだからー」とかいう理由だったりはするのだろうけれども、キモチがどうこうとかはひとまず置いといて、とにかく「お互い唯一無二の存在として、あなたとお付き合いしますよ」という『約束』に基づいた関係なのではないか、とおもうのですよ。

それは「付き合うには口約束をしなくては」とかいうことではなくて、むしろ口に出さなくてもそう『思ってる』というか『決めた』というか、ココロの中に何かしらの線引きがあるわけでしょ、『恋人』以外の人との。『恋愛』が『時間軸に垂直にある、瞬間的なもの』という原則であることをおもうと随分システマティックな話ではあるけれども、でもそういう想いというか、約束というか、それはもしかして恋人である相手との約束ではなくて自分自身の中に在る神様的な何かとの誓いかもしれないけれども、そういう『約束』が互いの中にあって成り立っている関係ではないのかなとおもうのです。

ちなみに、その『約束』に基づく関係の最たるものが恋愛結婚っつーやつだとおもうの、法に基づいた拘束の約束。んでまあ、その枠の中というか、その『二人一組』の単位の中で、よりよい関係を築いていこうねとか、やっぱパートナーはお前じゃ無かったわーとか、なんだかんだあるけどでもやっぱりこのひとかなのかなとか、俺だけじゃなかったのかよ話ちがうくね?とか、そういう話になるのではないのかとおもうのです。『約束』であるからこそ、それを違えたときに関係が終わったりもするし、何があったとしてもお互いの気持ちの上で『約束』が有効な限り、関係が続いたりもする。ある意味、明確でわかりやすい関係。


それに対して『友人』としての付き合いっつーのは、逆に、「お友達になろうね!」とかいう『約束』では縛れない、もっと、曖昧で繊細なものではないのかと思ったのですよ。なんていうか、約束事では縛れない、お互いのキモチそのものとか、もっと言えば、今そこに育まれている『状態』を指すのではないかなと。この親しさ、信頼関係にもしも名前をつけるのならば、えーと、友情?みたいな。

だから『友人』の方がある意味、難しい気はします。明確じゃないというか。なろうと思ってなれるもんじゃないし、でもなろうと思って何かしらの努力をすることも時に必要だったりもするし、その『努力』とやらがどっちの方向に向いていれば正解なのかも答えはないし。そもそも時間が必要だよな、友人関係を育てるのって。ただ一緒にいる時間だったり、言葉を重ねる時間だったり、そういうことによる感情や信頼の積み重ねっつーの?要するに、アレだ。頭で考えててもわかんないんってことだ。考えた結果がそれなのか。いやでも、そーゆーもんじゃねーの?


私の『友人』に対する定義が相変わらず狭いからっつーのはあると思うのですけれどもね。あるいは、『恋人』や『友人』ではない、名前のつけられない関係が大切なものである場合もあるよねと。個人的には『仲良しさん』という呼称が好きだったりはします。仲良きことは美しき哉

長々書いたわりには、そんなとりとめのない話。