男の子女の子。

ぐだぐだやってる間にもう5月も終わりですよ。ううむ。や、いい加減ニコニコは自重しようと思っているのですけれども、ていうかもうテニミュは目を離したスキに追いきれないことになってるんですけれども、アレコレ見てる間に気がつけば着々と溜まっている『らき☆すた』MADもVIP替え歌シリーズもアレなんですが、それより何より、永井先生を地味にチェックし続けてるところに自分の痛さを感じます。アレは引いとくのが女子の嗜みってもんなんじゃないのかしら。つーか、違ぇんだよ、アレはちょっと引いたとこから野郎に弄られてるのが面白いキャラなんだよぉぉ(ひたすらROMりながら画面に念発射)。判らない人にはすいません、えと、自重を『じじゅう』とナチュラルに読んだ人には、sm343361(愛媛のMAD)の出来が良かったんですけど見ましたかー、と。プチ私信。

前フリが長い上に毎度ブランク長くてすいませんが、ちょっと前回日記の続き的なところでですね、性別的な自意識について書こうかと思ったんすけども。WEBの中に限ったことではなかったりもするのだけれども、なんかこう、『女子としての自意識』っつーんですか。そゆのが邪魔になるというか、今そんなもんいらねーから!みたいな。そーゆー時ってあったりしませんか、という話。私の場合、主に『笑い』においてなんだけれども。

それは別に、「ほんとは笑いたいんだけど女子ぶって引いたフリをする」とか、そーゆー猫かぶり系のことではなくて(むしろ女自意識を出さないようにすることに猫被るのと逆のベクトルに労力を使うケースはある気がする)、笑うのも引くのもどっちもその時の本心だったりするんだけれども、なんだろなー、どっちのスイッチが入ってるか、みたいな。や、そんなハッキリしたもんでもないのかな、どっちのボリュームが大きいか、みたいな調節の問題なのかなー。これ、男子に伝わるのかなー。女の子は判るのかなー。

自意識の問題にすると伝わりにくいので、簡単に『笑い』の例で言うと、「あー私が男だったらもっと面白かったのにー」みたいな、変な悔しさを感じる時とかがあったりするのですけれども。わかる?なんか「ここに女混じったらウゼェ」みたいな場合ってあるじゃないっすか、そういう場面に居合わせたい自分が女であることのジレンマっつーの?

WEBの場合、黙ってROMってる分には空気を乱さないで済むところではあるのだけれども、なんていうか、自分自身でですね、自分の中の『女目線』的なものが邪魔っつーか、それがなければもっと純粋に面白がれるんだろーなーという羨ましさがあったりする。アレだな、男子に対する憧れみたいなもんですかね。それこそが女ならではの思想というパラドックス。ていうかこれ、中2病の一種なのでは(こじらせると俺女とかになるんだとおもう)。ま、同じようなことをヲタ系のネタに対しても思うんだけどね、「もし私がアニメとかにのめりこんでいれば、もっと面白がれるハズなのに…!」みたいな。そもそもお前、何をROMってんだよっていう話ですか。

自分の中の『女』を時に鬱陶しいなと思いつつ、だからといって女自意識を完全に捨てきれるほど性根座ってるわけでもなければ『女子ならではの楽しさ』を手放す気もさらさら無いんだけれども。ワガママでいいの、だって女の子だもん。(の元ネタがアタックNO.1だと判る世代)(子じゃねぇ)ていうか、こういう風に日記を書いてるときの自意識っつーのがそもそも女自意識が極薄なワケで、そんな中で『女の子だもん☆』とか書いてもそりゃタダのネタっつーか、だいたい私が☆使う時は自意識的にはネカマ以外の何者でもないという。うむ。そういうことだ。