書いてるヒトから読んでるヒトへ。

なんか中途半端な『かまってプリーズ』な話を書いたりしてますが、何の企画でもなしに遊んで遊んでと言ってるのもどーかと思いますが、あの、別になんかオゴれとかそーゆーんではないので、ビビんなくてもいいよー?と念を押してみる。やー、私がPC放置して長期落ちてたっつーのもあるんですが、このところさ、サイト持ちのヒトとかもサイト締められたり更新止まってたりなパターンにでくわすことも多くて、リアルでお忙しかったりもするのでしょうけど、ねーみんな元気ー?とか、まー書くにしろ見るにしろ距離感がメチャクチャなことには変わりないんだけれども。よかったら近況報告でもしてってくれるといいなと思います。こういうのって思ってるとき書いとかないと伝わんないからね、ちょっとしつこいですけれども。

こないだ、「仕事仲間が友人になるのはいーけど、友人が仕事仲間になるのって、なんか、やだ」とかいう話をしてたんですけどね。い、イヤじゃない?私はイヤだ。何がイヤかと言われてもビミョーなんだけどイヤだ。やっぱこう、カテゴリが違うっつーかさ、意図的にキャラ作ったりしてるワケでもないんだけど、でもなんか調子狂う気がするじゃないか。と思ったりするんだけど、じゃー仕事仲間が友人っつーのがアリなのは何なのさ。とか、うううん、でも違うんだよー。判る?判るかしらこの感覚。

で、この感覚って、私の場合、サイトの人間関係な感覚と近い気がちょっとしたの。「サイト閲覧者が(リアル)友人になるのはいーけど、(リアル)友人がサイト閲覧者になるのって、なんか、やだ」。いや、あくまで私の場合ね。ヒトによっては「そもそも閲覧者は閲覧者だよ」っつーヒトも、リアル友人の感想を楽しんでるヒトもいるだろうから。

もうちょっと深く掘るとだな、リアルでの友人関係と別に、見てる側が『閲覧者』というヤツにちゃんとなれる場合に成立するんじゃないでしょうかね、「リアル友人が閲覧者に」状態っつーのは。『閲覧者』になれるっつーのは、『書かれたモノを、書かれたモノとして読める&気に入る』っつーことだと思う。もすこし砕いて言うと、「あいつがこんなこと言ってるー」みたいな、先に人ありきの見方ではなく、ある意味書いた人と切り離してモノが見られるというか。この「ただ、読む」っつーのって、結構できないヒトっていると思うんですよ。

そもそもリアルでの友人関係って、双方向および多方向の発信と受信によって成るもので、しかもそれが結構大雑把なモノである気がするのね。大雑把だからこそ言外に伝わるものがあったりもするんだけど、むしろどちらかというとそっちがメインとしてイメージ認識されたりするものではないか。それに対して、サイトとかって、発信者と受信者の1対1の関係で、送り手の意図をピンポイントに凝縮した一方的発信に対する一方的受信、で、一旦そこで完結するものだと思うんですよ。そのあとで何かが始まるかどうかは別として。

なんかたいそうな話になってしまいましたが、書いてるモノはこんななクセにな。ううん、言葉足らずでどこまで伝わったか心許ないけども、アレだ、『仕事仲間』も『閲覧者』も、『友人』より難しいんじゃないのー?と思ってるってことだな、私は。あ、一緒にするとわけわかんなくなるな。でも、『仕事仲間が友人に』『閲覧者が友人に』がアリなのは、先に、より難しいと思われる『仕事仲間』『閲覧者』っつー関係が作れていることの安心からだと思う。んで、『よい仕事仲間』『よい閲覧者(言い方が不遜ですが)』っつーのは、そりゃいいをともだちになる可能性が高いよねー、ということではないかなと。

アクセスがアレな割りにはですね、ウチはほんと、閲覧者様には恵まれてやってこれたなーと思うのですよ。なんか突然『様』とかつけちゃうのも何ですけど、いやほんとに、得がたいモノであることよと思います。思ってんなら捨てられないよーに更新ちゃんとしろよっつー話だな。う、うん、がんばるにょー。でもウチのマイペースぶりはみんな判ってくれてると信じてるー。(←この辺の甘えが距離感の無さ)