オカン的なもの。

パソコンが直ったよーとか言ってたばかりのところ何ですが、突然マウスが利かなくなりました。なんで?ほ、本体の異常じゃないよね?とりあえず本体パットは生きてるんで大丈夫っぽいんですけど。どきどき。週明けにマウスを持ってって会社端末で試してみないと。とか思ったんだけど、今週は水曜日まで夏季休暇とってるんですよ私。ちくしょうこんな時に。つーか休暇のうちに色々やろうと思ってたのに。そんな夏休み。

ここはひとつ前向きに、マウスを酷使するミニゲーは止めとけという神の思し召しだと思うことにします。なんか私のところに召喚される神ってショボくね?もっとこう、ミラクルなラッキーとかがいいんだけど。中学生のプチ反抗期な子を世話するオカンくらいの能力と存在感な神。「あんたはもー、そんなしょーもないゲームばっかりやって!ええかげんにしときー!」マウスコードぶちっ、みたいな。そう、オカンはパソコンとかよくわからないから、ロックパスワードを弄る等の高度な技は使えないので、電源を抜いたりという荒業に出がちである。時によっては壊す。そして何故か関西弁。

オカンといえば、以前どっか巡回中に見かけて激しくツボったのが『オカンアート』なんだけど。手編みのドアノブカバーとか、牛乳パックで作った小物入れとか、なんかよくわかんない人形とか、家庭で母ちゃんが作る、いわゆるそーゆーヤツです。あるあるあるー。この「あるある感」に加え、オカンアート自体が放つ脱力感と破壊力、絶対いらねーんだけど冷たく処理するのが躊躇われる切なさ、かといって油断してると果てしなく増殖する恐ろしさ。笑う。しかし何より、『オカンアート』のネーミングセンスがツボった。母親像の中からピンポイントに焦点を絞って過不足なく表現している『オカン』、そして前衛的(理解不能とも言う)センスをも無理やり作品と言い切る『アート』の響き。秀逸だと思います。

しかしこういう『オカンアート』が在る家庭っつーのは、なんか健全な気がする。なんだろう、オカン的なモノの存在を許容する隙がある健全さ。話は飛ぶけど、よく猟奇モノ少年犯罪なんかが起こったときに、マスコミが少年像のプロファイリングとか犯行声明文の解き明かしなんかをやってんのを見ると、「そんな親切な扱いすっから、こいつら自分がカッコイイことしてると勘違いしちゃうんじゃねーのー」とか思ってしまうんだけども。こういう時にこそ必要なのが『オカン的なもの』だと思うの。自意識とか耽美性なんかを木っ端微塵にするオカンな力。ちょっと話が大風呂敷になってしまった気もしますが、まぁアレだ、中二病と対抗できるのはオカンだろ、と。

だからと言って、自分の部屋にはいらないんだけどね、オカンアート。マウスも直してください。