おろおろ。

PC不在中、ぽちぽちとテレビをつけたりしてみています。テレビのある生活ってすごい久しぶり。震災情報に見入ってしまっているというのもあるのだけれど、でもまあ非当事者の気楽さで、次の瞬間には「あっコレが**さんが見てるって言ってたドラマだー」とか、関心は移ったりしているワケですけれども。なんか深夜番組とか、知らない番組がいっぱいあるしー(にわかテレビっ子)。

なんかさっき日常日記書いてて思ったんだけどさー、ああ今頃被災地でタイヘンなコトになっているヒトもいるというのに、私ときたらこんなどーでもいい話を延々と何やってんだろー、とか。いや、私がココで何を書こうが書くまいが、当事者な方達には全く影響が無いことは判っているのだけれど。でもなんか、『あー、こんなときにこんなクダラナイコトで嬉々としてる様を書くのは申し訳ないなぁ』みたいなね、変な自粛気分に取りつかれました。そんなこと言ったら、今回の地震災害だけでなく、「そんな場合じゃねーんだよ」な人は、世の中にいつだってゴマンといるだろうに。

あ、別に、よそのサイトさんになんか自粛しろとか言ってるワケでは全くないですよ、当たり前だけど(つーかなんだそれは)。この機会に関連情報を発信するのも、それに対する自分の心情を綴るのもアリだけど、それらに敢えて触れずに変わらぬスタンスを貫くのもアリっていうかむしろソレはソレでスゴイとおもう。その上で、個人的にこういう『自粛気分』になったのがハジメテだったもんで、ちょっと色々考えてみたんですけれども。

私の場合、まず、地震災害っつーヤツが結構、『自分に近いところにあること』として考えられるような状況になっているのだとおもいます。幸い、直接の身内や友人が大変な目にあったということは今のところないんですけど、それでも過去の災害で『恐かった体験』は色々聞いている。親しい間柄ではないけれど、だからこそ安否も何もわからない、その地に居た『過去にすれ違った人達』に思いをはせることもある。あとね、サイトをやってるとね、こんな僻地サイトでも一応、全国っつーか全世界に向けて発信されてたりするワケですよ。実際、ウチを見に来てくれてたヒトの中に被災された方がいるかどうかは知らないが、そんな繋がりでもね、『自分と何かしら繋がりを持っている人』のことって、全く無関係な人より心配になるよね。ま、それも自分勝手な言い分ではあるけれど。

自分と関係ないヒトはどーでもいいということではないけれど、『自分のこととして考える』ということは、そんなところから始まるものではないかとおもいます。それが、誰かと繋がりを持つことの意味のひとつかもしれない。

だからってココで何するワケでもなく、ただテレビの前でどきどきしてたりするだけなんですが。とりあえず私が今すべきことは、仕事だとおもう就業中。