そこにあるということ。

最近、好きだったサイトさんが立て続けに閉鎖されてちょっとショックだったりするんですけどね。つーかもう。変わらず永久に続いていくコトなんてないけれど。ぐにぐに。ええと、サイトの閉鎖に関して言うと、コレはもうしょうがないっつーか、閲覧者としては「がーん、見れなくなっちゃうの、ショックー」とか思いながらも今まで見せてもらった感謝を述べるしかないのだけれど。

なんか、発展的閉鎖というか、仕切りなおして新しいサイトを始めるための閉鎖であったり、サイト以外のコトをはじめる為の閉鎖であったり、管理人さんにとって、それまでの当人にそのサイトがなんらかの意味で必要であったと同じように、他のコトが必要になる時があるのだと思います。そうであって欲しいというキモチもあるけれど。まあどんな理由であれ必然なのだと思う。

一方で。私は『Cafe Beach Side』 さんが2周年のときに書かれた文書がすごく好きで。BBSでおっしゃってたのかなー、ちょっと元の文書見失ってしまったんだけど(古い話ですいません)、街角にずっと変わらずあるカフェのように、いつでもふと寄ることのできるようなできる存在で続けていきたいというような文書だったんですけどね。(ニュアンス違ってたらゴメンナサイ)

『いつもそこにある』ということ、って、結構スゴイコトだと思うんですよ。カフェサイトさんだからということではなくて、私は常々、サイトと「お気に入りの店」を重ねて見たりすることがあるのだけど、そこに在るだけで安心するっつーの?そういうことってあるじゃないよ、別に其処が私のために作られた場所でなくても。なんか、そういう在り方というのはいいなあと思ったりするわけですよ。ちょっと感情的ですかすいません。別に閉鎖された方、される方を非難するつもりは全くなくて、そもそもそんな権利も何もないと思ってますが、そういうことではなくて、在り方のヒトツとして私は好きだなと思うのです。で、『ふにふに』も、そう在れれば良いなあとか思っています。

続ければ良いというモノでもないし、続けるための仕切りなおしとかを考えることも当然、あるわけですが。あると思うんだみんな。私の場合、ソレをはじめたらスゴイ勢いでサイトを作っては潰すんじゃないかという恐れもあるので、などという理由もあったりするわけですが(そして日記フォームは怒涛の変更)、なんか、ずっと、細々とふにふにやっていくことができれば、ちょっと良いなあとか思ったりしています。それが良いことかどうかは判らないけど。

そんでもって、閉鎖されたサイト管理者さんへ。ええと、拝見させて頂いてありがとうございました、好きでしたよ。また何かのカタチで、拝見できる日を楽しみにしてます。で、できれば再開の際にはご一報を。>私信という名のオネガイ。