えーと、実はコレ、4日ぶりのNET日記だったりもしますが(書いてる日は10日)、相変わらず毎日分更新で。って、わざわざ暴露するコトもないんじゃないかと思うんですがね。もっというと、毎日分書く必要もないんじゃないかといつも思うんですが、NET日記は特に。日常日記の方は、必要っつーか、まだなんとなく、時間軸との照合っつーか、「今日こんなコトがあったー」という、「今日」の意味があるよーなないよーな、まあ日記だしなー。という気分になったりもするんですが、PCに全く触らなかった数日間のNET日記って。

いや、日常日記だって、「必要」かそうでないかといわれれば「必要」なんてモノは全くないわけですが。100歩譲って「毎日更新」に何か意味はあるかもしれないが(日参してくれるヒトがいたら、何か更新されてたらちょっと嬉しいとか)「毎日分更新」で誰か得するヒトはいるのかというと、別に誰も〜、というかなり不毛な答えしか出ないわけですが。むしろ読むヒトは更にメンドウなんじゃないのかという。ふ、不毛。

で、話がちょこっと飛びますが、プライベート日記だと「日記性」っつーか、「日記」の持つ「時間軸との照合」っつー要素が、結構重要なコトになってくるのだと思うんですね。「今日」何があったとか、「今日」思ったコトとか、そういう時間的な整理とか記録とか。で、WEB日記の方は、書き手さんにもよるとは思うのだけど、それ以外の要素が結構あると思うんですよ。単に「日記」って方式を取ってるだけで、それはWEBにUPするタイミングを計るのに便利、とか。ただ、「日記」形態の面白いトコは、やはり「時間軸」という要素によるところがあると思います。

私の場合は、「WEB日記」がやりたい、という前に、まず「テキスト書き(読み物HP)」をやりたいというのがあって、んで、その形態として「日記」方式をいくつか採用したワケです。で、日記方式とコラムものの違いは何かっつーと、『日記が「時間」と連動して動いていくモノであるのに対して、コラムの方が「時間」に左右されないモノであるべきだ』、っつーか『〜であった方が面白い』、と思っているんですがね。

んで、そんな話と「毎日分更新」がどう繋がるのかというと、実は何の関係もない気もしてきましたが、とりあえず、「続けてる気分になれるよ(私が)」という辺りに意味があるのではないのかなーと。細かいことは置いといて、長い目で見たときなんとなく動いてればいいかなーとか。えと、日記方式の一番の利点は、こんなにフヌケていてもなんとなく続けられるコトだと思います。