無断リンク〜正論と感情論。後編。

再び『コムラ』さんとこの「読み物」と、そこで紹介されてた『TRiCK FiSH』さん参照。ことのはさんのヤツは多分、そのうち後日触れる。えとですね。『ネットでの儀礼的無関心の可能性』ってヤツですが。読みましたかいいですか。えとね、まず登場人物に沿って、思ったコト・思っているコトを書いていきます。

  • 『ひっそり日記を書いてたAさん』について
    • 驚くキモチも不安もちょっと判るけど。
    • これによってAさんは「WEB日記の公開」について、何か学んだんじゃないかと思う。その後、Aさんが公開しない日記を書くのか、公開方法を考えるのか、公開する意味を考えるのかはAさん次第だと。
  • 『それをみつけてリンク張ったヒト』
    • 間違ってないとは思う。が、Aさんが自サイト上でリンクフリーを謳っていないのなら(←この場合の設定不明)確認は「してあげた方がいい(確認や承諾が「必要か」どうかではなくて、感情的な配慮という点で)」と、個人的には思う。
  • 『Aさんサイトにリンク張った大手Bさん』
    • 基本的に上と同じ。大手(=リンクによってアクセスが動く)サイトさんだから「配慮」すべき、かどうかはBさんの判断っつーか、ポリシーとか美学とか、そーゆーコトになってくるんじゃないかなと。無断リンク啓蒙的な考えのヒトかもしれないし。(←啓蒙目的ではない設定だとは思うが、基本的姿勢設定という意味で不明)
  • 『Aさんサイトをひっそり楽しみに見てたヒト』
    • 残念だけど、WEB日記とかサイトって、そーゆーもんだと思う。公開者が公開を続けるとは限らない、閲覧者が閲覧し続けるとは限らないのと同じように。
    • あと、BさんのリンクでAさんサイトを知って、ひっそり好きになったヒトの立場は。とかいうのは余談。

「誰が幸せに云々」という言い方がちょっと引っ掛った。言いたいことは判るんだが。コレが単純に「不幸なコト(という言い方はされてませんが)」なのかは、私にはワカラナイ。

この中で、電車の中で他人をジロジロ見るという例えが出てきます。この場合は「儀礼的無関心」というコトで例に出されているのだけれど。その話はその話で判るんだけど、で、賛同もする部分もあるのだけど、なんか「Bさんの態度」と照らしあわせるのは、感覚的に少し違う気もするよーなしないよーな。『ひっそりと日記書いてるサイトさんに無断リンクを張る行為』が『電車内で他人をジロジロ見るコト(=多くの人に非常識で失礼だと認識されていると思われるコト)』と同じくらい、非難されるべきコト・恥ずべき行為かと言われれば「私の感覚ではちょっと違うよーな気もする」し、「それほどのコトではないにしろ『空気を読む』とか『暗黙の了解』って大事だよねー」というコトなら「そうだよねー難しいけどねー」と思う。瑣末な言い回しを突っ込んでるよーで申し訳ないが、「リンクフリー正論は認める、ソレはソレとして、感情的な部分での『暗黙の了解』的なマナーを考えて(語られて)もいいんじゃないの」という点では賛同です。で、私なりに考えてもいます。

あとですね。コチラでは「リンクフリー理念、強し」という前提で書かれてますが。・・・リンクフリー理念ってのは・・・リンクフリーなんだから文句言うな、みたいな『正論』をタテにする人をイメージして良いのだろーか。ちなみに私は、この場合「リンクフリーという考え方」が悪いのではなくて「何でも『正論』だけで片づけようとする感覚」が問題なのだと思う。リンクフリーの「正しさ」を理解している上で、でも「個人的配慮」や「空気を読む」コトをしている人、というのも多いと思うのだが、こーゆーヒトは、コチラで書かれてる「リンクフリー理念」ってヤツとしてはどーなのか、と。

話がそれたが、「リンクフリー理念、強し」について。私は、このBさんの影に、Aさんとこにリンク張りたかったけど止めたCさんやDさんがいるかもしれない、と思う。『他人の感情を配慮しない人』の行為は目立つから多数派に見えるかもしれないが、『見えない配慮をしている人』の方が多いのではないかと思うのだ。思いたいってのもあるけど。でも、そういう見えないモノをちょっと信じてもいい気もする。