好きなもの話。

キンブオブコントバナナマン残念でしたね(主観)。と、脈絡がないにもほどがある話題から入ってみましたが、普段しないテレビの話な上にとっくに終わっててすいません。やー、久々に準備万端で気合入れてテレビ見ちゃったよ。古い話題はもういいですか。風化しきらないうちにと平日にも関わらず日記更新してみたんですけど、いやー時間たつのって早いよなー。

更新してない間に何してたかっつー話でもあるのですが、色々やってたうちのひとつとして、昨年某氏からラーメンズDVDを借りまくって一通り見たあと地味に本格的にハマったために、本公演に飽き足らず密かに動画検索にいそしんでいる、というのがありまして(『TEXT』は既にリピートで観てるけどもうDVD出たら買わざるを得ないと決意済)。そっからgenicoで日村がスゲー動くことに気がついてコント動画漁った結果、今更バナナマン再評価、みたいな。再評価も何も、テレビあんまし見ないから「お笑いタレントの人達の一部」としてしか認識してなかった一方で、既にコントの評価が高い人達だという「情報」は以前から目にしてはいたのだけれども(活字媒体でしか知らなかったあたり)。アレだなー、私はお笑いにしろ役者さんにしろ、舞台芝居系のヒトがツボなんだなー。と思います。というのが冒頭の文章の前フリだったりするのですけれども。

まーそんな感じでですね、動画漁りから「ぬぅ、これは保存方法を!」ということで、今更色々模索してFLVに変換して落とすとこまではできたんだけども、ぇーこれDVDに焼けないのー?とか四苦八苦していた今日このごろだったので、その辺の試行錯誤な話をメモついでにココでまとめようかと思っていたのですけれども、えーと、えーと、も、もーいいよねー、そんなの知ってるヒトはとっくに知ってるしどーでもいいヒトはどうでもいいよねー。とか既にやる気ナッシングでリンクも張らないていたらく。うむ、興味があるうちに日記書かないとダメだっつーことだな。

そうだ、興味があるうちに書こうと思ってた間に映画公開が既に始まってしまっているのですけど、まだ間に合うかもしれないから話逸れるけどコレは書いておく。容疑者Xの献身。頼むー、映画の前に小説で読んでくれー。あれは「いい小説」なんだー。映画版見てもいないのに批判してるようでアレなんだけども、いやでもCMで湯川役が福山なことを知った時点で「うっ」とか思ってたんだけども、今ちょっと気になって調べたら石神役が堤真一でぶっとんだ。えええええ?!私の中では揺ぎなく温水洋一だったのにー?!いや、福山湯川に対する堤さんなんだろーけども、なんかもう話違うやん・・・。まー映画版は映画版でいいんですけども(ドラマも見てなかったよごめん)、それは置いといて、容疑者Xは是非とも東野文体で小説として「読んで」欲しいの。「読む楽しさ」を味わえるいい小説だとおもいます。あ、できれば「探偵ガリレオ」か「予知夢」を先に1編でいいから読んでおくんだ、めんどくせーからリンクとか張らないけど。というわけで、小説は今、東野圭吾にハマってます。また推理小説かよって感じだけど、いや、なんか多芸なヒトなんだけども、基礎がスゲー上手いんだなーこれは。アクが強いわけではなく、むしろ淡々とした書き口が個性的という、うん、面白い作家さんだなー。とか、呑気にのほのほ何冊か読んでたら容疑者Xで鼻血ブーだったんだけども。まー長くなるからこの話はこの辺で。そーいや映画といえばwanted観たかったんだけどアレはいつまでなんだ。いやだからそんな余談はもういいんだ。

とまぁ、そんなこんななアレコレにうつつを抜かしていたという話を日記にも書かずにひとり溜め込んでる間にリアル友人に会ってしまい、「最近はまってるものって何ー?」とか話をふられてウッカリ動画関連の話までちらりと話してしまったところ、「や、動画だったらveohが高画質」という話を聞いたのでこれだけリンクはっておきます。そうなんだけどさー、うp数少なくてげふんげふん、いやそれはおいといて。相変わらず、あんましインターネッツな話はリア知人にはしない方向で、とか無駄な配慮をしていたりするのですが、あれですね、ヲタクほどそれを隠すの法則ですね。しかし友人知人の方がディープな気がするのは類友なのかそうなのか。や、普通に話せばいい話なんだけどもさ。

まーインターネッツ話は置いといても、私の場合、リア友に対して「趣味とか好きなものの話をあまり積極的にしない」という傾向があったりするのですけれども。や、世界を狭める結果にしかならないっつーのは判ってはいるのですけれどもね。判ってはいるけど、「あ、それ好きー」くらいは言っても、「絶対いいから!聴け!そしてハマれ!」みたいな煽り方は、意外とあまりしない。スタンスとして、「私が好きなんだからお前も好きになれー!」ではなく、「私が好きならそれでいい、だからそっとしといてくれ」、みたいな。その反動がweb日記に出てる気がしなくもないが、リアル知人に対して「積極的にしない傾向にある」のは、「その話に対する否定的な反応がダイレクトに返ってくることも、ままある」という理由ではないかと思います。や、webでもそれは在り得る話であることは分かってるし、「好意的な反応」が返ってくるのが嬉しかったりもするので、反応自体を否定しているわけではないのですが、でもまあ、web日記は基本的に「一方通行のひとりごと」でもあるわけで。

簡単に言っちゃうと「だって好きなものを否定されたら寂しーじゃーん」という話なのだと思うのですが、まーそれも「えーこの良さがわかんねーの?ありえねー!」「あーはいはい、わかんねーけど、とにかくお前がそんなに好きなのはわかった」みたいな話で済んじゃうことでもあって、だからそれで済まされちゃうのがイヤなのかもしれないのだけれども、でもその流れがあってやっと「(「ソレ」の良さはわからなくても)こいつがソレを好きなことは判った」というひとつの『理解』を得られる、ということもあるわけで。その機会を否定するのもどうなんかなーと思わなくもないのですが。

あー、でも、「好きなモノ」に対して全否定されたり全く興味を持たれないより、「中途半端に理解される」とか「理解の仕方が微妙に違う」とかいう方がキツい気もします。「そうじゃないんだー!」感が強いっつーの?合えば合うほどズレが許せなくなるジレンマっつーか、あれですか、近づくほどに棘がささるハリネズミのジレンマ。いやそれは例えとして意味が違う気がする。ん?違わない?(わからなくなってきました)(ま、距離感の問題になってくるのでしょーね)

なんつーか、「それで済ます」ことを受け入れる愚鈍さ、とでもいいましょうか。何度か似た話を書いたかも知れんけど、常々思うんだけどさー、プラスをいっぱい受け取れるヒトっつーのは、いっぱいのマイナスも一緒に許容できるヒトなのだなーと思うのですよ。処理の仕方が上手いっつーか、マイナスに対するダメージ回避能力が高いっつーかさ。んで、「許容量」っつーのは、プラスに対してというよりむしろ、マイナスの許容量に左右されるものではないかなーと思います。という意味で、愚鈍さというのはある意味「強さ」でもあり、悪いことではないと思うの。一方で、鋭敏さも大切っつーか、それが全く無いヒトっつーのも信用できない気はします。まぁあんまり尖ってるとただの中二病でしかなくなってしまうんだけども。極端に言えば、ガラスの十代(おっさんしか知らんがな)VSそれを笑い飛ばすオカンの感性のせめぎ合い、みたいな。えーと、何の話でしたっけね。

話が収集つかなくなってきたところで、話ついでのラーメンズ関係のクリッピングを。だから脈絡が無いにもほどが。ええと、興味ないヒトには申し訳ないのですが、興味なくても見て面白いのでは。というところをいくつかメモがてら。