4歳御礼改め。

今朝は大変失礼を致しまして、今、改めて小1時間かけて書いた日記をUP直前に消失するという事故(間違ってブラウザ閉じた)(タブブラウザのバカー)(自爆)を起こしてしまい、もう自分の学習能力の無さを呪うしか・・・!あ、いけね、また入力フォームに直書きしてるわ。もういいよ2度はやんないよきっとー(この辺が自爆フラグ)

えーと、そんなわけでですね、4歳御礼っす。華麗にスルーしたつもりだった連続更新にツッコミありがとうございました。違げーんだよ、いきなり風邪引いて死んでたんだよー。いや、もうその話はいいや、さっき書いたから(消えたけど)。周年企画もここんとこロクにやってないんですけど、アレっすよ、「奢ってくれオフ」やったのが1周年企画なんですよ、あれから3年経ってるんだよ知ってたー?早いよねぇ。ていうか、「1年目で奢ってくれとかやってたのか私・・・」と自分にちょっと引いたんだけども、いや、あれは1年目の勢いだからできたとも言える。当時お会いした方々には、その節はホントにありがとうございましたです、ええと、見てますかー、あれから3年ですよー。

リアルでもそうなんだけど。例えば、連絡が途絶えた人が「過去の人」になるのは意外なほどに速くて、それはいいことか悪いことなのかは知らないけれど、でも「そういうもの」なのだと、どこかで納得している自分がいるのだけれども。なんていうか、「その時の自分に必要なもの」というのがあると思うのですよ。それは、人だったり遊びだったり仕事だったり、もっと細かくてささいなことだったりもするのだろうけれども、「好きだから」だけじゃない、「今の自分だから」「その瞬間だから」という巡り合せ。そんなもののひとつとして、どこかの誰かの人生のスキマにfunifuniが紛れ込んでいたら、それは、私にとって、ちょっと嬉しくて、そして面白いことだなぁ、と思います。

んで、ココを必要としなくなって久しい誰かが、ふと魔がさして再び覗いてみたとき、「うぉ、まだやってんのかコイツ、しかも進歩してねぇー!」とか思ってくれたら、それでいいんじゃないかなー、と、思ったりするのです。それがね、存続の意味のひとつ。速報性とかリアルタイムとかと逆のベクトルでの時間的な意義みたいなものもね、5年10年やってりゃ出てくるんじゃないかなーとか思ったりもするんだけれども。まぁそんなコムズカシイことこんなとこで言ってもしょうがないんだけれども、あれです、マッタリ行こうぜマッタリー、みたいな。

とりあえずアレだな、5周年は何かやりたいよなー。何やるのー?いやもう、企画も人集めるのも何にもできないもんでアレなんすけど、いやでもしかし、この過疎地ならではのマッタリ具合だからこそできる何かが・・・!ほんとかー。えっと、来年までに何やるか各自考えておいてください。これ宿題な。(丸投げ)(これからも他人に頼りきって生きていきたいと思います)(願わくば、来年までよろしくね的な何か含む)