2月かよ!

はい、リアルでは仲間内のゴタゴタが終結しきらないまま1月も終わってしまいましたが、やー、今年は派手にモメたなぁ。毎年、年末年始が終わると『ひと仕事終わった』っつー気になってたりするもんだけど。しかしまぁ、アレだな。今回、色々『モメゴトに関する関係者の話』を各々から聞く機会が多かったんだけれども、なんかなぁ、どいつもこいつも『自分の話』は確かに筋が通ってんだけど、他人の話を聞くっつーことをしないヤツらだなーと。みんな正しいけどみんな間違ってる。そーいやそもそもこのメンツって、自分を含めて、自分の論理でしか動けないヒト達がたまたま集まっちゃったーみたいなヤツラだからなぁ、とか再確認してみたり。だからラクだし面白いんだけれども。

『自分は自分の主人公』なんてチープな言葉があったけど、それは、逆に言えば『全ての他人の中で、お前は脇役』なワケで。相手の物語の論理や言語を理解していくことが『相手の話を聞く』っつーことで、それを自分の論理とすり合わせていくことが『話し合う』ということではないのかと私はおもう。どっちが正しいとかいうのと、それは別の話。

んで、それはそれで、それなりに面白い作業ではあるのだけれども、やはり体力を要するメンドクサイコトなワケで。「いっそ死んでしまえー」とかいう罵詈雑言をたびたび受けるほどのめんどくさがり屋の私としては、そんなめんどくせーことを万人に対して常にするわけもなく。せいぜいが他人の『話を聞く』ことでいっぱいいっぱいで、『自分の話をする』というのは、相手や相手との距離感を図りながらスゴク小出しにしてたりするのだけれども。

こういう、公開日記とかテキストサイトとかっつーのはね、『自分の論理や言語を、相手とすり合わせる努力をあまりしないで放り投げられる』という利点があるのですね。まーそんなこと、わざわざWEBだの日記だのやんなくても、普通に手近な人間相手に無差別にやってるヒトもいるわけだが。私の場合、普段は『語る』より『聞く』のを主にするタイプだな。身近なヒト相手『語る』をやっちゃうとですね、やっぱ投げっぱなしっつーワケにはいかなくなったりするもんで。あと、ある程度覚悟しているとはいえ、「伝わらなかったのが判ったとき」ってガッカリしたりするもんだよね。ガッカリすることすらメンドウになるくらい。

だからって『何も語らなければ何も伝わらない』ので、失敗しようがメンドウだろうが、コミュニケーションをとるというのは社会生活的に重要なコトだとは思うのだけれども。それと別に、WEB上で語りかけているコトバというのは、『受け取ってもらう努力とか何もしてないから受け止めるヒトがいなくても別にいい。でも、誰かひとりくらい、そのまんま受け止めてくれるヒトがどこかにいるかもしれない』という希望の上に成り立っているのではないかとおもう。

私は、そんないびつなコミュニケーションが、なんとなく好きです。