ツール間でのコミュニケーションというか、いわゆる「馴れ合い」と呼ばれるよーなモノは、私はキライではないのだけれど積極的に食らいつく気もあまりない、結果あまり馴染んでない位置にいたりするわけですが。なんか、「はてな」が「私立はてな学園」だとしたらdoblogは地方の公立校だな、偏差値は高めだけど競争でギスギスしてないっつーか。(独断脳内イメージです、断るまでもないけど)

「馴れ合い」が否定的な意味で捉えられがちなのは、その閉鎖性というか、馴れ合ってる輪の外のヒトから見た時にツマンネーよ、とかいう話なのだろーと思うのだが、私個人的にはヒトが馴れ合っているさまというのを見るのも面白い場合があったりするので、なんていうか見てる分にはどーでもいいです。つーかネットウォッチなんて所詮覗き見だと思っているので、見れる範囲のモノを見たり見なかったりするだけです。あ、コレは閲覧者としてのワタシの意見ですが、私は書いてるヒト・サイトやってるヒトであるのと同時に閲覧するヒトでもあって、それは同じヒトなのです。

つーか「馴れ合い」ってコトバがそもそも悪い意味を含んでいたっけ?と思って、いつもお世話になってる三省堂 で調べてみたら

    • なれあい [▲馴れ合い]…ぐるになること

…それだけかよ、ワカンネーよ三省堂。ちなみに「馴れ合う」で調べたら「親しみあうこと」と出ました、意味。仲良きことは美しき哉。(←すいませんとってつけてみました)